■ 社会システム 里親制度

激しい虐待などで、実の親と暮らすことが難しくなった子どもは、児童福祉施設や里親に託されます。政府は家庭的な環境で子どもたちを育てられるよう、施設での養護から里親への移行を進める方針です。しかし里親など、家庭的な環境で育てられている子どもは、2016年度末の全国平均で18.3%にすぎません。

【関連画像】虐待を受けた子を含め5人の里子を育てた秋山三郎さん、恵美子さん夫妻

 子どもたちの傷を癒やし、育て上げるのは容易なことではありません。虐待を受けた子を含め5人の里子を育てた秋山三郎さん、恵美子さんに里親体験を語ってもらいました。1人でも多くの子どもが愛情を注がれるために今必要なこととは。30年を超える里親経験から秋山夫妻が今感じていることを教えてもらいました。

●暴力、ネグレクト受けた子引き取る

 秋山さん夫妻は東京都内在住。子どもを授からず、1987年に3歳の女の子を最初の里子として引き取りました。彼女が中学生になってから、2番目の里子として迎えたのが、実親から暴力やネグレクト(育児放棄)などの虐待を受けていたタケシ君(仮名)です。当時、6歳でした。

 「足の付け根やおなかに、たばこの根性焼きのようなやけどがあり、肋骨のあるべき部分がへこんでいました。骨の柔らかい乳幼児期に殴られるなどして折られ、そのままになってしまったようです」(恵美子さん)

 タケシ君の母親は10代で妊娠し、タケシ君の実父とは離別。その後、別の男性と暮らし始めましたが、けんかの絶えない生活だったと、後にタケシ君自身が語っています。タケシ君は深夜、一人で何度も自宅近くのコンビニエンスストアへ行き、賞味期限の切れた食べ物をもらうなどしていました。これがきっかけで虐待通報が入り、児童相談所に保護されて児童養護施設で暮らすようになりました。「児相に保護されたとき、自宅の冷蔵庫には水しか入っていなかったそうです」と、三郎さんは話します。

 それでもタケシ君は、実母を慕っていました。秋山家と何度も交流を重ねながら、最初は里子に出るのを嫌がったといいます。施設の職員が理由を聴くと、タケシ君は「だってお母さんが迎えに来たとき、僕がここにいないと困るでしょ」と答えました。

身を守るため「物語のような嘘」

 タケシ君は里子に来てから、川沿いの遊歩道を歩いていると「ここから落ちたら死んじゃう?」、道路を見れば「車に当たると死んじゃう?」と、事あるごとに「死ぬ」という言葉を繰り返しました。「たかいたかい」をしようとわきの下に手を入れようとすると、体を固くしました。恵美子さんは程なく、彼が「物語みたいな嘘をつく」ことにも気づきます。

 見慣れないおもちゃを持っているタケシ君に、恵美子さんが「これ、どうしたの?」と聞くと、彼はすらすらと答えました。「お正月に外泊できない僕を、施設のお姉さんが外出に連れ出してくれて、一緒にファミレスに行ったの。そのとき1つだけ買っていいよって言ってくれて、これを買ったんだ」

 「でもこれ、君の(施設から持ってきた)荷物に入っていなかったよね」。タケシ君は部屋の隅に行き、2時間ぐらい頭を抱えてうなった揚げ句、やっと友達のものを勝手に持ってきたことを認めます。

 こうした嘘が続いたことから、秋山夫妻はタケシ君と一緒にカウンセリングを受け始めました。その中で「小1なのに、中1並みの言い訳ができる」と判定されたといいます。カウンセリングを受けるうちに、タケシ君は「お母さんたちがけんかしているときは、部屋の隅にじっとして、見つからないようにしていたんだ」などと、過去の虐待を口に出せるようになりました。恵美子さんは「親の怒りを買わないためにはどうすればいいか、幼い頭で考える中で、嘘がどんどんうまくなったのではないか」と推察します。

●女性に貢ぎ借金重ねる 「教師になりたい」希望むなしく失踪

 中学時代は落ち着いていましたが、高校に入って同級生と付き合い始めたころから、生活が荒れ始めました。彼女も、ネグレクトの被害者でした。

 「アルバイトの給料だけでなく、うちのお金も持ち出して彼女にあげてしまう。仕方がないので、お金を置いてある部屋にカギを付けました」。成績は落ち込み、無断で彼女を部屋に連れ込んだり、家出して友人宅を泊まり歩いたりした時期もあったといいます。

 高校卒業後は教師を志望し、1年の浪人生活を経て大学へ入学しました。しかし「2年生の終わりごろからは、ほとんど学校に行っていなかったようです」(三郎さん)。同棲していた女性に追い出され、所持金47円で帰って来たことも。そのうちに複数の消費者金融からの借金と奨学金の返済が滞り、督促状が何通も届くようになりました。

 秋山夫妻が「自己破産の手続きをしなさい」と必要経費を渡して送り出したのが、タケシ君を見た最後です。その後5年以上、行方は知れません。

●人への恐怖が消えない 幼少期、愛情注いでくれる「誰か」持てず

 三郎さんは30年の里親経験から「子どもたちには、ごく幼いころから自分を大事にしてくれる『誰か』が必要」と感じているといいます。

 「実親でなく、私たちのような里親や祖父母などでいい。乳幼児期にそれなりに愛情を受けた経験がある子は、たとえ思春期に一時荒れても、自分を大きく傷つけてしまうことはないと思います」。里子には、3歳というごく幼い時期に迎えた長女のほか、幼いころは実親や別の里親の元で大事にされて過ごし、様々な事情で秋山家にやって来た子どもたちもいます。しかしタケシ君は、「誰か」の愛情が最も必要な人生最初の6年間を、両親の争いと虐待の中で過ごさざるを得ませんでした。

 恵美子さんは「彼はある作文に『これまで人に会うのが怖かった、何かされるんじゃないかと思ってしまった』と書いていました。人への恐怖感が消えず、いつも良い子ぶって過ごしていたのでしょう。女性にもお金を出して、自分をよく見せようとしてしまうのではないでしょうか」と振り返ります。

 秋山さんも苦い思いを込めて語りました。「彼は教師になりたいという希望を持っていたし、奨学金に合格するなど頭も悪くなかった。でも結局、自己肯定感を持てなかった。私たちも応援したつもりですが、力及ばず、自立させることができませんでした」

●進まぬ里親措置、「短期里親広め、気軽に託せる環境を」

 厚生労働省によると、欧米では里親への委託率が50%を超える国が多い一方、日本は委託率が低迷しています。「実親の多くは、里親に託すと子どもが戻ってこなくなると考え、措置に同意してくれないのです」と三郎さんは説明します。

 「しかし里親に託すなら、なるべく早い時期にしてほしい。タケシは6歳で措置されましたが、例えばもう少し早ければ、事態は変わっていたかもしれない。子どもは6歳より3歳、3歳より0歳のほうが、愛着を形成できるのは明らかです。児相が家庭復帰を優先するのも理解はできますが、親が同居を望んだとしても、分離させたほうがいいケースもある。子どもの命と将来を優先して、決断してほしい」。三郎さんはこうも訴えました。

 ただ秋山さん夫妻も60代を迎え、養育期間が10年を超えるような長期の里子を迎えるのは難しくなってきました。今後は、短期間の里子受け入れを始めようとしています。運送業を営んでいた三郎さんの両親は戦後、集団就職で上京した少年たちを雇い入れ、家に同居させて面倒を見ていました。このため三郎さんにとって、他人の少年たちが家にいるのは当たり前だったといいます。秋山夫妻に里親になるよう勧めたのも、この両親です。

 秋山さん夫妻は、こうした「親代わり」のような役割が、現代も必要だと訴えます。「実親が子育ての難しい期間、里親が子どもを預かり、事態が改善したら家庭に戻す。こうした形を広めることで、もっと気楽に短期間、私たち里親に託す環境をつくりたいのです」と、三郎さんは話しました。

 では、短期里親というのは具体的に、どのように里子を育てる制度なのでしょう。次回は「3日里親」を続けている里親の経験談などをご紹介します。

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