◆哲学書

■どうにか暇を潰す現代人の悩みに答える

 若い頃から哲学書に親しんでいない者が哲学に接近するきっかけは、まずその問いに魅力があるか、否かに左右される。幸福論の類はその代表格なのだが、退屈をテーマに掲げたこの本が確実に読者を増やしているのも、國分功一郎が提出した問いに魅力があるからだろう。
 〈暇のなかでいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきか〉
 資本主義の全面展開によって裕福になり、何をしてもいいはずなのに何もすることがなく、誰かが仕掛けた注目の商品を消費したり、話題のスポットへ足を運んでどうにか暇を潰す日々。現代人が抱えるジレンマとでも呼ぶべきこの現実の虚しさに薄々気がついている人にすれば、國分の問いは無視できない。私もまた、もうずいぶん前からくり返してきた、「退屈とどうつきあっていくのか」という自問について考えるべくこの本を手に取った。
 國分の論考は実に丁寧だった。暇と退屈の原理論からはじめ、哲学だけでなく文化人類学、考古学、経済学、消費社会論、動物行動学などの知見も活用しながら結論へと展開。第五章では、退屈論の最高峰であるハイデッガーの『形而上学の根本諸概念』を取りあげ、その分析の鋭さ(特に退屈の第二形式の発見)を讃えつつも、それ以降の二章を使ってハイデッガーの決断主義を批判する。
 そこで登場するのが、理論生物学者ユクスキュルが提唱した環世界(動物にはそれぞれ固有の知覚方法があり、その動物固有の時間や空間をつくっている)という概念だ。國分は、人間がこの環世界を比較的自由に移動できる点を重視し、自身の考える暇と退屈の倫理学の方向性──〈動物になること〉の可能性──を主張する。
 動物になれる可能性に人間的自由の本質があるのかもしれない……賛否はともかく、ここに辿りつく論理的な展開は、哲学することの醍醐味を堪能させてくれた。少なくとも、この本を読んでいる間、私は退屈しなかった。

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