★パキスタン 相次ぐ記者殺害 「追及せず」政府メッセージ

パキスタン 相次ぐ記者殺害 「追及せず」政府メッセージ

産経新聞 2月6日(月)7時55分配信

【鼓動2012】

 パキスタンで記者の殺害が相次いでいる。非政府組織(NGO)、「国境なき記者団」(本部・パリ)は、2010年に11人、11年には10人の記者が殺害されたとして、パキスタンを記者にとって世界で最も危険な国であると2年連続で位置づけた。都合のいい報道をしなければ記者に牙をむく情報機関、武装勢力、政治家、マフィア…。多くの記者が命を危険にさらしながら闘っている。(イスラマバード 田北真樹子)

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 「やつらは非情で冷酷だ」

 インターネットのニュースサイト「アジア・タイムズ・オンライン」のパキスタン支局長、サリム・シャザード氏(40)は生前、義弟(28)にこう語っていたという。「やつら」とは、パキスタン軍の情報機関、3軍統合情報部(ISI)のことだ。シャザード氏は昨年5月29日にイスラマバードの中心部で消息を絶ち、2日後、東部ラホール州で遺体で見つかった。

 イスラム原理主義勢力タリバンや国際テロ組織アルカーイダなどに情報源を豊富に持つ記者として知られていた。武装勢力と軍の関係を告発し、軍の反発を招く記事も少なくなかった。

 それだけに、記事掲載前には軍報道官に連絡したり、自らISIに出向いたりするなど、「ISIとのつきあい方をわきまえていた」(義弟)という。

 ところが、10年10月15日に掲載された、南部カラチでタリバン幹部が釈放されたという彼のスクープ記事をめぐって事件が起きた。

 ISIの報道担当者はある会合で、シャザード氏に「記事は国家に恥をかかせた」と訂正を要求。シャザード氏が一蹴すると、こう言い残して脅したのだ。

 「最近拘束したテロリストが暗殺者リストを持っていた。君の名前があったら知らせてやるよ」

 シャザード氏が誰に殺されたのかは明らかになっていない。しかし遺族をはじめ関係者は「ISIが黒幕に違いない」とみている。

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 記者(田北)の目の前に現れた彼の唇は震えていた。パキスタン北西部で記者をするハーン氏(仮名、40代)は、反政府武装勢力「パキスタンのタリバン運動(TTP)」から脅迫を受けていた。

 TTPに関し、ある分析記事を書いた数日後の夜、彼の携帯が鳴った。アフガニスタンの国番号が表示されていた。電話に出ると、「おまえの報道はわれわれを敵視するものだ。このままだとおまえの命は危ないぞ」。パキスタン北西部の部族地域のなまりだった。

 TTPに殺害された記者を何人も知っているハーン氏は翌日、家を引き払い、車も携帯電話の番号も変えた。仕事は休職し、知人宅などを転々としている。

 彼はISIにも監視されている。「TTPに狙われているようだから警護してやる」というのだが、記者にしばしば圧力をかけるISIも信用できない。

 「記者はISI(の側に付く)かタリバンかの選択を迫られる。この国で記者をやろうとしたら生きていけない」とつぶやいた。

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 昨年5月22日、カラチで海軍基地襲撃事件が起きた。同27日に海軍におけるアルカーイダの浸透ぶりを特報したのが、アジア・タイムズ・オンラインのシャザード氏である。しかし2日後、彼は自宅から車で5分とかからないテレビ局に向かう途中、消息を絶った。見つかった遺体には拷問のあとが残されていた。

 シャザード氏殺害は、02年以降で47人ともいわれる仲間を殺されてきた記者らを立ち上がらせた。全国の記者クラブは各地で抗議デモを続け、政府に司法調査委員会を設置させた。記者殺害で正式調査が行われるのは初めてという画期的な出来事だった。

 だが、先月10日、ギラニ首相に提出された146ページの報告書は犯人断定を避けた中途半端なものだった。

 国境なき記者団のパキスタン代表、イクバル・ハタック氏は「この報告書によって、情報機関であれ武装勢力であれ、誰が記者を殺害してもお咎(とが)めなしというメッセージを送ってしまった」と嘆く。

 一方で、脅迫されている事実を積極的に公表する記者もいる。軍に批判的な言動で知られる著名ジャーナリストのハミド・ミル氏だ。昨年末、ISIから脅迫されていることを明らかにしたのは「攻撃が最大の防御」と信じるからだ。

 「この国は司法も民主主義も貧弱だから、やつらはいつでも私を殺せる。でも声高に叫んでいれば、私が殺害されたとき、国民は誰が犯人か分かるだろう」

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 パキスタンで現在、政府に登録している記者は約1万7千人。その平均年齢は23歳ともいわれる。

 もともと同国では、テレビ事業を民間業者に開放したのが2000年と遅かったこともあり、記者の数はそれほど多くなかった。

 だが、テレビ業界の開放に加え、01年以降のテロとの戦いで世界の関心が一気にパキスタンに集中し、記者の需要が高まった。

 「教師や露天商らが一夜にして国際記者になった」と語るのは、イスラマバードで記者を対象に危険地取材のトレーニングを実施しているグルミーナ・ハーン・アフマド氏だ。「記者は客観報道というジャーナリズムの基本を学ぶ必要がある」と、パキスタンの報道側の問題点も指摘する。

 今年1月18日朝、国境なき記者団のハタック氏は、北西部カイバルパクトゥンクワ州で活動する米国ラジオ局のパキスタン人記者に電話した。客観報道に関するワークショップの開催を知らせるためだった。

 TTPに命を狙われていたそのベテラン記者は、「ジャーナリズムをもっと学びたい」と参加に意欲を見せていたという。

 しかし叶(かな)わぬ夢に終わる。夕方、その記者は祈りのために訪れたモスク(イスラム教礼拝所)で凶弾に倒れた。

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